襦袢について考える1

イラスト

着物になくてはならないもの、

それは着物+帯+半襟+襦袢。

襦袢ジュバンは着物のアンダーウエアーで、下着の役目をしている。

ジュバンには肌襦袢と長襦袢の2種類あります。

さて、襦袢(じゅばん)とは何でしょう?

そもそもジュバンという「発音」と「漢字」はどこからカムフロム?

ジュバンはジバンとも呼ばれて、元はポルトガル語の

肌着、シャツという意味の『gibão(ジバゥン)』をさし、

形はブラウスのように袖がひらひらした形だったようです。

(※もっとさかのぼるとアラビア語の「ジュッバ(جبة jubbah)」が

ポルトガル語化したという説もある。でもアラビア語のジュッバは地名なの。

衣服のことでもあるらしいが、長袖のロング丈ワンピースのような形。

日本のジュバンにストレートにたどり着くには無理がある、と思う)

16世紀に南蛮人によってもたらされた衣服で、

のちに半襦袢のような形になって流行します。

長じゅばんはさらに江戸時代になって、吉原など

富裕層の間で部屋着として、華美な襦袢が登場する・・・とのこと。

いま開催中の「きもの展」会場には、素晴らしい着物が展示されていますが、

私が一番心惹かれたのは、1枚の襦袢でした。

下着白木綿地立木模様更紗

したぎしろもめんたちきもようさらさ

当時も高価であった更紗で作られた襦袢です。

緩めた襟や袖口や裾などからちらりと見える襦袢の

はっとする色や柄は、すべてがあからさまに見えるよりも色っぽく

挿し色としても効果的で、想像力を掻き立てます。

着物における襦袢は、見えることを前提としている下着としては

世界的に見ても珍しい物のようです。

さて、今の状況を見ると、

襦袢はサラッとしているとか摩擦が少ないとか

機能をメインに求められています。

(ここ数年で、鮮やかな色無地や素敵な襦袢も出てきました)

しかし大半はまだまだ。かなり地味だなあと思います。

襦袢が二の次になったのは、

昭和の戦後にあった着物への需要の高まりがちょっと関係しているみたいです。

戦争で物を失ったり焼け出された人は着物が欲しくなって

呉服屋さんでも、まずは着物と帯でしょうという感じで、

襦袢は間に合わせの扱い、見えないしね、

ま、適当にすませましょう、そんな立ち位置。

結果白や薄い色の無難なもの=襦袢になってしまった。

そうして何十年もたって、襦袢を見直す動きというのは起こらない。(つい最近まで)

かつての大胆な色柄の着物アンダーウエアーは

いったいどこに行ってしまったの。

話変わって、今残っている着物は

貴族やお金持ちの打掛、小袖などで、

民衆の着ていた着物類で残っているのは江戸末期~明治以降のもの。

江戸時代、それ以前のもので残っているのは

端切れ、見本帳くらいしか目にしたことがありません。

婚礼衣装と礼服以外の着物は消耗品で、

着られなくなったらほどかれ、ふきんや雑巾やおむつとなって、

のちに残らないのが当たりまえ。

特に襦袢は、汚れて洗ってを繰り返し、

今目にすることがない。

でも、私はちらりと見ることが出来る。

江戸時代のジバンは浮世絵の中に。

鮮やかな赤い色の襦袢、大胆な柄の襦袢。

色の洪水、エネルギーのほとばしり。かっこいい!

今またそんな襦袢を作れないかなあと。

考えています。

※長襦袢の歴史に関してはまだ未完成です。

これから先書き加えることたくさんありそうです。